2017.3.22

今の自分、喘息の悪化で県立病院で治療中。

事の発端は2/27韓国から帰国後に風邪を引いた事が原因。

喘息の咳はしていたんだけど、症状は毎度の事だからと

いつものように服薬しながら生活はしていた。

2/24初の渡韓。はじめてにしてはリラックスできていたし、ストレスもなかったので、

体調は悪くはなかったし、天気にも恵まれて日中はお日様で暖かく感じたけれど

朝夕は結構寒かった。

2/26も天気は良かったものの、いつもより薄着をしたのが悪かったんだな。

持って行った服ではなく、ソウル明洞のZARAで服を買い、26日に着たんだけど

春の服だったから・・・。

まさかの事故から翌日27日の帰国、28日の朝は喉の痛みで嫌な予感は的中。

案の定すぐに症状が悪化してしまい、しかもひな祭りに突入して

仕事は多忙だし、休めないし、病院にも行けなかった。

時は既に遅く、鼻水に痰が絡む咳になっていた。

3/6にようやく病院に行ったのだが

いつもは近所の内科で喘息治療もしていたが、会社の用事もあり

今回の風邪は違うクリニックで診てもらい、喘息の服薬もあったので、

漢方の薬を処方してもらいつつの治療。

風邪の症状はなくなっていたと思うが喘息は悪化する一方。

とうとう発作症状がピークに達して限界に・・・

掛かりつけのその内科へ電話・・・でもその内科はどうも自分にとって

相性が合わないと言うか、医師に不信感を感じていた日々だった。

仕事が押してしまい、既に17:30を回った頃にいつもの内科に電話をしたが

18:00を過ぎたら診療は出来ないと断られた。発作で苦しくて大変な時に

愕然としてしまい、殊更不信感は増すばかりで泣きたい気持ちで一杯になってしまった。

市民病院にも電話をしたが呼吸器科がない事から県立病院(県病)を進められた。

既に診療時間外だったから救急外来で吸入をして貰い、やっと楽になり安心出来た。

救急外来の医師に薬手帳は見せていたので、その内科についても聞かれたが

喘息薬は底を着いていたから、またその病院に行かなければならない。

医師から「薬が効いていないんじゃない?」とまで言われてしまった。

多くの病院が存在する現在、自分が納得できる病院・医師との出会いは

そうそうない・・・。

診療代はさすがに高額だった・・・・(T_T)


ただ、この状況からすれば、やはり安心できる病院で治療が出来れば・・と思いながら帰宅した。

救急外来の医師からは紹介状があれば、転院はできるからと言われてはいたし

(県立病院ともなると、紹介状がなければ診療代は高額・・・・。)

参考資料・・・http://gooday.nikkei.co.jp/atcl/column/14/091100014/050100008/


今の内科では納得のいく治療ではなかったし、相変わらず喘息の発作は続いて喘鳴もしていたから

この機会に転院した方が良さそうだなと思い、

16日体調不良で病院に行くため休みをもらうことにした。

いつもの内科に県病への紹介状を書いてもらいにと行ったら、

次の患者さんに影響があるから、すぐに書けないとか言われて

ますます不信感を抱いてしまった。県病からは今の病院から紹介状をもらえればOKとは

言われていたので、その旨を話し(やや強引だったが)紹介状を持って県病へ。


しかし、その日は呼吸器外科の診療のみだったため、前日と同じく救急外来での

吸入と点滴になった。ちょうど、呼吸器科内科の医師が検査もあり、

病院には来ていたので、午後になったら先生に診てもらえる事になった。

紹介状もあったので、スムーズに事務処理も済んだようで

17日の再来で診療と検査が開始。ようやく安心感が得られた。



実は17日に目的があったため上京するはずだったが、この喘息で

一日順延をして県病で検査診療と薬の処方をしてもらった後に

上京する事に・・・(喘息の症状はあるものの、何とかなるかなと強硬突破してしまった)

17日に茅場町で一泊して、18日9:30目的のラフォーレ原宿へ・・・。


目的は韓国の「Oh!Boy」の臨時ショップでの冊子購入だったのだ・・。^^;;;


何とかこの目的を果たし、もう一つの目的場所、千葉野田の運河へ当病平癒御祈願へ

帰りの歩道から見下ろした河川敷には菜の花が咲いていました。

東京は冬物のコートが暑く感じるくらいに天気が良くて、

日中は喘息発作が治まっていたので、安心して帰宅。

夜から夜中にかけて咳と発作が起き始めるので、処方通りに服薬と吸入。

症状は変わらず・・・。

ところが夜中の咳が酷くて、まともに寝れず21日の夜中に苦しくなり

とうとう救急車を呼ぶ羽目になりました。

すぐ吸入と点滴・・・ようやく発作が治まり始め

3:00頃タクシーで帰宅。

息子は少し遠くに住んで居るため、すぐ来れず翌朝自宅に来てくれました。

それでもお粥を作ってもらったり買い物もしてくれて・・・

点滴をしたのと頓服と安心感からか、日中はよく眠れたおかげで症状は治まっったのでした。

ただ夜中はどうしても咳が出て眠れなくて・・・喘息症状や服薬を忘れないためにも

自分のためにも早速、喘息日記をつける事にしました。

22日本日に再度診療と検査が入り、もう一段階治療を進めると言う事で

症状に合わせて、吸入と服薬がまた増える事に・・・。

(日記は今日の診療に持って行って正解だった感じです・・・)

来週31日には全ての検査結果が出るので、それまでは服薬と吸入で何とかしのげたら助かる。

夕食後の服薬…今は症状が治まっている感じです。

喘息の悪化で今回大変になった事で水戸にいる息子が

「遅かれ早かれ、こっちに来たら?青森より暖かいし、もし仕事を探すなら

こっちで探せば、青森より職も沢山あるだろうし・・・」なんて言い出しました。

かなり心配したみたいです。^^;

でも、頼もしい息子の言葉に嬉しさと逞しさを感じました。

感謝・・・・まだ先は決められないけど、この先の視野に入れてみようと思いました。

ともかくこの症状だけは脱しないと・・・。







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